デザインと日常、時々ネコ

Linksdesign designer's blog

2011年3月16日水曜日

【つぶやき】東北地方太平洋沖地震
























「阪神淡路大震災」 

当時、高校3年生。 

プチ進学校なんだけど高校1年で大学に行かない事を決めてた僕 

卒業時にはすっかり落ちこぼれてて、 

穴掘ったり、瓦治したりバイトばっかしの毎日。 

卒業後の進路も決めてなく、何か儲かる仕事無いかな。。と 


そんな時、1月7日の阪神淡路大震災 


現場仕事の単価が一気に跳ね上がった。 

素人の僕に、日当で30000円。 

当時の僕に人を思いやる余裕も無く、純粋においしいと思った。 

当時社長には、普通免許やユンボー、高所作業者やら 

色んな資格をとらせてもらった。独立もさせてもらった。 


会社にはいろんな人が集まってきてた。 


すぐ仲間の財布をする窃盗前科持ちのクッサン。 

日当をその日で全部使っちゃって帰りの電車賃をいつも僕から借りてくおっさん。 

このおっさん、翌日返してくれるんだけどまたその日使っちゃう。 

街宣車に乗るように誘ってくる先輩。 

そして、戸籍の無い同性愛者の岩田くん。 


この岩田君戸籍がとれないのだ。 

当時、携帯電話を売っていた僕は携帯が欲しいという岩田君に 

戸籍をとるようにお願いした。するととれない。。。 


こんな方達と明石のほうのラブホテルにつめて一軒家治したり、飲んだり 

海に遊びにいったり。。。 


海に行く時に車を用意したのも「岩田くん」だ。 

岩田くんが時々乗ってるプレリュードを使って日本海まで行く事になった。 

当時岩田くんは免停中なので僕の運転で日本海へGO!!! 


すると京都で捕まった。パトカーに前後を挟まれ停止させられ、 

いきなり胸ぐらをつかまれ、取調室に。 

プッリュードは窃盗車だったのだ。 


京都府警の方に説明さしあげて、 

岩田くんをおいてみんなでタクシーで帰宅。 

そして岩田くんは、何週間も出社してこなかった。 

数週間後いつものヘラヘラとした笑顔で岩田くんは出社してきた。 

後で聞くと、岩田くんからは薬物反応が、、メンドクサイよ岩田くん。 



請けで仕事をしだしてしばらくはさらに儲かった、 


ある日、アパートの瓦を治していた時にブルーシートをかけずに帰ってしまった。 

雨が降って、アパートはびしょ濡れ。 

保険なんか入ってないし、貯金から結構な額の弁償をする事になってしまう。 

そして、アパートに住んでた女性が、ヤクザさんの彼女かなんかで 

済んだ話を何度も蒸し返してくる。。 

当時の僕の金に対する執着は、満田銀次郎並だったので 

何とか追加の出費は免れた。 


ただ、1年もすると次第に仕事も減ってきたし、 

アパートびしょ濡れ事件の事もあり、解散! 


溜めた貯金で夜間の建築設計の専門学校に行き、 

その頃バイトしてた北新地のクラブで設計会社の社長に懇願して 

昼間は、竹中工務店の設計室で働かせていただけた。 

大阪のリッツカールトンのトイレの治まりは僕の仕事、 

何となく現職のデザイナーの入り口の様なところに立てた。 


そんな阪神淡路大震災の思いででした。

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